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鎌田實さんの本

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先日、友人から鎌田實さんの本を紹介され、さっそく図書館で貸し出し可能な『へこたれない』という題名の本を借りて読んでみた。鎌田さんは医師で、今はNPO活動で海外に医師団を送ったり、医療支援をされている。他にも「鎌田實とハワイへ行こう」という旅行を企画されて、身体に障害や病氣を抱えた人たちを勇氣づけておられる。

鎌田さんの本は言葉がとてもやさしくて、柔らかくリズミカルな文章がとても読みやすく、ページのところどころに前田真三さんの美しい風景の写真がちりばめられていてるのも写真好きのぼくにはいい。読んでいて心が和む。鎌田さんという存在は灯明のようなもので、そこにいて、言葉を発信されることで多くの人を元気づけ、勇氣づけ、生きる希望を与えている。ぼくたちもそういう存在になれればいいな、と思う。

鎌田さんの本を読みながら、ぼくも人を元氣にして、成長の手助けをするような、そんな本やツールを生み出していけたらいいなと、そんなビジョンを描いた。

本の中に、「分数ができなかったトットちゃん」という文章があった。トットちゃんというのは黒柳徹子さんのことだ。鎌田さんが「徹子の部屋」に呼ばれて、その時に出版していた『がんばらない』という本を、いい本だ、泣けると黒柳さんが言ってくれた。それが宣伝にもなりベストセラーになった。

鎌田さんと黒柳さんは一緒に本をつくったそうだ。そのとき、「黒柳徹子はLDかどうか」で議論したそうだ。LDというのは「学習障害」という意味だ。小中学生の6.3%がこの学習障害という。黒柳さんは幾何学は100点をとっても、分数は全然わからなかったという。

そういえば、ぼくも数学は学年で10番以内に入るくらい成績がよかったが、社会科はいつも10点台、20点台だった。社会科が極端に苦手だった。ぼくは、数学の応用問題を筋道を探しながら解き明かしていくことに大きな快感を覚えた。方程式は基本的に覚えない。どうしてこういう方程式になったのかというプロセスをおって理解していく。そうすると方程式を忘れても問題ないのだ。

どうやら、暗記するのが苦手というか、そういう回路が頭にないようだ。社会という科目は、どちらかというと暗記が必要だ。それだけでぼくは苦手だった。もっと数学の応用問題を解くようにプロセスをおって歴史を解説してくれる先生と出会っていたなら、きっとぼくは社会科が好きになっていただろう。

その後、ぼくは20代の半ばから日本や中国の古典を勉強しはじめた。あれだけ嫌いだった歴史のことが、どんどんとぼくの中に入ってきた。これはぼくがいい先生に出会い、歴史とは過去と現在と未来を結ぶプロセスなのだということを教えてもらったからだ。それで歴史に対するアプローチが変わった。苦手も、方向を変えると得意になる。指導者しだいで人は伸びるものなのだな。

ちなみに、ぼくは今もって、地図が読めない男を自称している。吉備の国にずいぶん住んでいるのに、いまだに土地勘がまったくなく、ときどき友人にあきれられることがある。待ち合わせのときに地名を言われると、ほぼ諦めモード。ぼくの知っている施設や建物やそういったものから、徐々にイメージをつくっていくと解る。これはどうも、ぼくにとっては極端に苦手なことなのだ。

幾何学はできても分数は解らなかったトッちゃんはLDだとすると、どうやらぼくもそのたぐいに入りそうだ。今まで生きてくるのに、なんら支障はなかったので、そんなことを考えたこともなかったが、そういう特性を多少ながらも持っているようだ。

そういう特性をもったトットちゃんは変わっている子というレッテルをはられて、トットちゃんは小学校を退学させられた。だけど、次の学校で「君は本当にすばらしいんだよ」と言ってくれる先生に出会えたそうだ。トットちゃんは彼女を認めてくれた先生と約束をした。学校の先生になると。だけど、なれなかった。そのかわりに、子どもたちのために役立ちたいと思ったそうだ。

トットちゃんが幸運だったのは、「君はすばらしいんだよ」と言ってくれる先生に出会えたこと。人を伸ばすというのはそういうことなんだな。トットちゃんがちょっと変わっているということは、生き方を少し変えれば、その変わっているところが人の役に立つ可能性がある、と鎌田さんは言う。

そういえばぼく自身もずいぶん変わっていると思うのに、自分を棚に上げて、ちょっと変わっている人がいたらレッテルを貼っていたかもしれない。ちょっと変わっていて、それでいい。認めてあげるというのは、とても大切なことなんだな。
 
by siva1199 | 2009-09-23 14:39 | 成熟した自我


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